血液検査と「基準値」

血液検査と「基準値」

採血チクン

病院にかかると、血液検査を受けることがあります。
健康診断や人間ドッグでは、血液検査は、なくてはならない項目です。
いわゆる「血をとって調べる」検査です。

血液検査を受けると、その結果を知ることができます。
自分の検査結果の値は、いくつだったか。
同時に、そこには「基準値」という数値がならんで書かれています。

基準値」といいますが、この意味を考えたことがありますか?
「それは、正常値っていうことでしょ」
「ここに入っていれば安心、という値ですね」

ここでは、基準値のつくり方を、おさらいしてみます。

ふつうの基準値のつくり方

まず「正常」とおもえる人を、100人集めます。
その100人の血液検査をおこない、結果をだします。
そのうちの95人が入る値の「範囲」を、基準値といいます。

ですから、じつは正常と思えても、100人中5人は、その基準値のわくからハズレることになります。
基準値といっても、正常とおもえるミンナが入れるわけではない、ということです。

実際には、正常とおもえる人は、その検査会社の社員があたります(ホントです)。
人数は、100人と決まっていなくて、実際には、もう少し多い。
そのうちの95%が入る範囲を「基準値」と決めてゆきます。
ですから、調べる人数が多ければ多いほど、信憑性がまします、普通は。

ところで、小さい子は、検査会社の社員にはいません。
ですから、別に年齢別に、特別採血した値から基準値をつくってゆきます。

同様に、定年をすぎた高齢者は、検査会社の社員にいません。
ですので、こちらも高齢者だけあつめて採血しよう。
というようなことは、ふつう行われていません。
社員(青壮年)の値をそのまま適応されています。

それは、高齢者の真の基準値ではないだろう。
ということで、高齢者だけの採血結果の検討がされたことがあります。
でも、そうしたら、結果なあまりにバラけすぎる。
まとめようがなくて、結局、高齢者用の基準値はつくれませんでした。
人間、歳とともに、個性が強まるという教訓です。

ですから、高齢者用の基準値はない
これが現実です。
そこをふまえて、検査値の解釈が必要です。

特別な基準値

いくつかの基準値は、たくさんの人の検査結果の集計をへないで決められています。
たとえば、脂質関係の基準値です。

これは、かかる「学会」がこのくらいの値が望ましい、という意見で決定されています。
学会の思惑、という基準です。

たとえば、総コレステロール値の基準値は、130〜219と人為的に決められています。
すると、総コレステロール値は、「220以上は高いよ」となります。

同様なものとして、糖尿病などで利用される血糖値の基準値もあります。

血液検査ではありませんが、血圧も同じように基準値が決められています。
かつては、年齢プラス90以上だと血圧は高いよ、という時代がありました。
やがて、160/95以上が高いと。
いまは、130越えたら高いんですか?

これらは、学会主導の基準値づくり、といわれています。
学会は、バック企業の関係が切っても切れません?

学会主導の基準値は、一般には、きびしくなる一方です。
つまりは、病人の数をふやす方向。
病人がふえれば、どうなるか、です。

たとえば、元気なお年寄りの「実際」の総コレステロール値の検討があります。
230〜260台の方が、いちばん多い。
基準値からいえば、みな高いのですが。
このくらいの値の方が、いちばん長生きされているようです。
なのに、みんな病気ですか?
(ここだけのはなし)

基準値との付き合い方

血液は、身体中を流れています。
いうなれば、流域をうるおす川と似ています。
川の水をすくってみると、その流域の環境状態が反映されています。

サラサラした水が流れる地域は、きれいな環境があると考えられます。
よどんだ水が流れる地域は、環境として、どうなんでしょうか。

血液検査の結果は、身体という環境をうつす鏡です。
ですから、血液検査の結果に、ドキドキ。

結果が、基準値に入っていれば、オッケー、ひと安心。
基準値からはずれていたら、うーん、と思いつつもいつしか忘却へ。

で、終わっていたら、どちらも、もったいないです。
血液検査の結果は、その意味の解釈をしてこそ意味があります。
意味について知りたい方は、どうぞお申し出ください。
(田村)