治療の目的

治療の目的

ド真ん中の直球から

治療の目的は、何でしょうか?
それは、病気をなおすことです」。

いきなり、ド真ん中に投げ込み、というスタートです。
小学生の答えならマルですが、現実はどうでしょうか。

じつは、多くの病気は、治療をしなくても自然になおります。
人間の体や生命力は、そのようにできています。
ですから、なおってゆくジャマをしなければ、よいだけです。

本来、必要なものは治療より養生、ともいわれますから。
ときに、治療は、その流れをさえぎろうとさえしますし。

一方で、どんな最新医療を用いても、なおりがたい病気もあります。
とくに、生活習慣がからむ病気。
あるいは、いまだ原因がわからない病気。
くわえて、加齢が主因となっているような病気。

ですから「なおる」「なおらない」でみていると、治療の目的がボヤけてしまいそうです。
ということで、病気から、すこし離れてみます。

くらし、というもの

話題を、かえてみます。
くらし」というのは、何のことでしょうか。

それは、いま続いている、現在進行形いとなみです。
目がさめて、おきだして、トイレにゆく。
顔をあらって、朝ゴハンをいただく。
服に着がえて、出かける。
仕事をする、買いものをする、学校へゆく。
夕方には、ゆったりとおフロにつかる。

そういった、具体的なひとつひとつの連続が「くらし」です。
くらしは、みんなにあります。
くらしは、毎日あります。
くらしに、例外はありません。

くらしの支障

毎日毎日、みんなに平等にあるくらし
そこに、支障がでることがあります。

朝おきようと思ったら、熱があって、だるくて、おきるのがつらい。
トイレまでゆこうとしたけど、腰が痛くて、しんどい。
ゴハンが、ムカムカしてたべられない。
約束があるけど、気分がのらなくて、出かけたくない。
階段をのぼるのが、息がつらくてできない。
おフロに入ると、かゆくて、かゆくて、つらい。
ぐっすりねむりたいのに、ゼンゼン寝つけない。

こういった体や心の支障だけではありません。
くらしの場面では、いろんな支障に出会うことがあります。

仕事がなくなってしまって、家計がピンチ。
前の畑が、草ボーボーになってしまって、手がつけられない。
職場のモメゴトに巻きこまれて、動悸が止まらない。
連れ合いがなくなって、ひとりぽっちに。

ふつうにくらせていれば、気がつかなかったもの。
それが、くらしの支障です。

くらしの支援

コマチクリニックの PRです。
そうです、ここは「クリニック」という看板がでています。
なので、病気の「診断」をおこなっています。
病気の「治療」をおこなっています。
地道に、がんばってゆきたいと思っています。

がんばってはいますが、最新・先端病院にはかないません。
これが、という目玉があるわけでもありません。
というか、ほとんど何もありません。
むつかしい「診断」や「治療」は、連携する病院にお願いすることがあります。

では、何を一番の目標にしているのか。
それは「くらしの支援」です。

自分(たち)のくらしが、ちゃんと送れること。
そのために、くらしの支障がでたときに、支援ができること。
その支援が、くらしの一歩前進のお役に立てること。
そのお手伝いをさせていただきたいと、考えています。

あくまで、お手伝いであり、後押しです。
くらしの主人公は、「自分」にありますから。
(田村)